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スペシャル・インタビュー Interview Speciale
園田高弘 日本人としてどう弾くか―それが問題だ。
園田高弘さんという名前から、私たち聴衆は何を連想するだろう。
おそらく、「ドイツ音楽の伝統を正統的に受け継ぐピアニスト」という印象が、一番強いのではないだろうか。
しかし実際には、園田さんの活動は、時代や国に限定されることのない、
幅広いパースペクティヴを備えている。
以前行われた水戸芸術館のリサイタルではラヴェルの〈夜のガスパール〉を弾かれたし、
継続中の「ピアノのための公開セミナー」では受講生が携えてきたプロコーフィエフの〈戦争ソナタ〉を猛烈な疾走感で弾いて私たちをあっといわせたりする。
日本の前衛的な音楽サークル『実験工房』の演奏会に出演していたことなども、案外知られていないながら重要な事実だ。
今回、ATMアンサンブルは、園田さんと共演するにあたり、近代フランス音楽のプログラムを提案した。
それは、「ドイツ音楽の巨匠」というマス・イメージとは違う園田さんの顔を、見たかったからだ。
何といっても園田さんが人生で最初に(1952〜53年)留学された地は、パリであり、
名ピアニスト、マルグリット・ロンに師事されていたのだから!
そこでこのインタビューも、演奏会の内容に呼応し、園田さんとフランス音楽の関係について語っていただくことを企んでいた。
だが、園田さんをひとつのトピックに収斂することなど、とても無理だった。
話題はやがてフランスを離陸し、演奏論、教育論へと向かってゆく―。
いつしかこのインタビューは、「戦後音楽史の生き証人」であり、今なお最先端の現役である園田さんからの、
超辛口の警世のメッセージとなっていた。
まず園田さんに、フランス音楽との関わりについて伺ってみよう。
そもそものフランス音楽との出会いは?そして、なぜ最初の留学先がフランスだったのか?
きのうの「ピアノのための公開セミナー」では、ロシア音楽もやったんだけれどね、
そうすると「先生どうしてロシアなんですか」と生徒に尋ねられたりするし(笑)、
アルベニスの〈イベリア〉かなんかを弾くと「どうしてスペインの音楽を知ってるんですか」とか言われる。
日本という国は非常に短絡的でね、僕が「ドイツ派」みたいなレッテルを貼られたのは、
日本のジャーナリズムのせいなんだ。しかし実際、僕がはじめに留学したのはフランスだ。
なぜ行ったかというと、僕の父(園田清秀氏)は、
ロベール・カサドシュ(フランスの名ピアニスト)に師事していた。お父さんの先生がフランス人だったということで、
子供の頃の僕の心の中には「フランスに行ってみたいな」という憧れがあった。
一方、芸大に入る前に僕が習っていたのはレオ・シロタ先生だが、彼はロシア人でブソーニの高弟で、
ウィーンで活躍した大ヴィルトゥオーゾだった。
だからウィーン風の音楽の香りも子供心に感じていた。つまり、その時点ではドイツなんてなかったんだよ(笑)。
もちろんバッハとかベートーヴェンとか勉強したよ、けど行きたかったのはフランスだった。
そもそも外国に出るきっかけはジュネーヴのコンクールを受けるためだった。
しかしコンクールは失敗だったので、スイスじゃしょうがないからパリへ行こうかな、と思ったんだ。
パリにはその頃、矢代秋雄(作曲家)、遠山一行(評論家)、山根弥生子さん(ピアニスト)、
田中希代子さん(ピアニスト)などがいた時代でね、僕は彼らをよく知ってたし、
家内もその頃パリに行ってた。
そこで僕はパリに行ったんだが、コンセルヴァトワールを受けるにはもう年齢が25とか6だったし、
日本ではすでに活躍していたから、「青二才と一緒になんて馬鹿らしくて勉強できるか!」って思いがあってね(笑)。
それで田中希代子さんから「マルグリット・ロンさんがパリの十七区でレッスンやってるから出てみたら」と言われてね、
連れてってもらったわけだ。
するとみんな三々五々弾いてる。そこで僕もロン先生に申請をしたら「弾いてみろ」と言われて、
それがまあフランス音楽との出会いとなったわけだ。
なるほど、ではロン先生の教えとはどのようなものだったのだろうか?
フランスには1年くらいいて、その間、ロン先生のところでショパン、ドビュッシー、
ラヴェル、フォーレとかを、とっかえひっかえ弾いた。
彼女の弾き方というのは独特なレガートを特徴とした、エスプレッシーヴォ...いわゆるフランス風な奏法という奴だね。
今ではあんな風に弾く人はもういないと思うんだけれど、
その後のピアニストで言えばサンソン・フランソワなんかはそうかな。
あとアルド・チッコリーニ、それからフィリップ・アントルモンとか。
しかし、フランス風の弾き方というのは僕にとって無縁じゃなかった。
なぜなら子供の頃、家にマルグリット・ロンが初演したラヴェルのピアノコンチェルトのSPがあった。
それがもう名演でね、マルグリット・ロンって名前を聞いたときに僕はすぐに「ああ、ラヴェルだな」って思ったよ。
それに芸大のとき、野辺地瓜丸先生というアルフレッド・コルトーの弟子がいてね、
「コルトーがこういう風に弾いた」というのをやって見せてくれた。
それを僕は奇術でも見るような目つきで見ていた。
だからフランス風の奏法というのは、いわゆるロシアのヴィルトゥオーゾのやり方とは違うということを知っていたわけだ。
そういう下地があった上で、僕はパリでフランス音楽の洗礼を受けたんだ。
彼女のもとでラヴェルの〈夜のガスパール〉とか習ったときにね、
「ラヴェルはこうやって弾いたんだ」って僕の手をとってこうやって押さえてね、歌い方なんかを教えてくれた。
そういうのはもうショックだよね。
彼女のフォーレのピアノ四重奏曲の演奏なんかも名演だね。フランスにはああいう室内楽の伝統があったんだね。
上記の発言にある通り、マルグリット・ロンはラヴェルの愛弟子であり、また生前のフォーレ、
ドビュッシーらとも交流のあったピアニストである。
いわば、園田さんの中には、ロンを通してフランス音楽の伝統が脈々と息づいているのだ。今回の演奏会で、
私たちはそれを感じることができるに違いない。
一方、直接的な師弟関係を別にしても、園田さんにとってパリの楽壇は刺激に満ちたものだったようだ。
演奏会は片っ端から聴いたよ。マチネとソワレを一日ではしごしたりしてね。
うまいへたじゃないんだ、今そこで生きている音楽を、目を皿のようにして、耳をそばだてて聴いた。
当時のパリは終戦直後でまだ戦争の傷痕が残っていたけれど、音楽はたくさんあった。
ダヴィッド・オイストラフも戦後のパリ・デビューを飾っていたし、
ヤッシャ・ハイフェッツ、ネイサン・ミルスタイン、アルテュール・グリュミオー(以上ヴァイオリニスト)…みんな聴いた。
それと同時に僕は、戦前からの伝統の最後の炎が燃え尽きるところを体験できたんだよね。
たとえばジャック・ティボーの弾くフランクとかフォーレとかドビュッシーとか、
驚嘆の眼差しで観ていたね。伴奏はまだ若いチッコリーニだ。
ヴァルター・ギーゼキングもパリでうんと聴いたよ。
ドビュッシー、絶品だったよ。ベートーヴェンのソナタも、シューマンの〈ダヴィッド同盟舞曲集〉も。
〈ダヴィッド〉のうまかったこと!コルトーは1回だけ聴いたけど、もうボロボロだったね。
何とも言えないポエジーはあったけれど…。
ヴィルヘルム・バックハウスも全盛だったね。パリでバックハウスのベートーヴェン連続演奏会を聴き、
男子一生の本懐とはこれだ、こういう風にやりたいもんだ、とそのとき初めて思ったのかも知れない。
正にこの時、園田さんのドイツへの憧憬は育まれつつあったのだろうか。
やがて、帰国した園田さんはカラヤンと共演し、カラヤンの誘いでドイツへと向かい、
ヘルムート・ロロフに師事する「ドイツ時代」が始まるのである。
では、フランスとドイツの音楽を、いずれも本場で学ばれた園田さんは、
それぞれの音楽の違いについてどのように感じられているだろうか。
やっぱり、根本的に違う潮流だと思いますね。フランスは音楽を感覚的にとらえるし、
ドイツは、ひらったく言えば観念的に捉える。
フランス人が弾くモーツァルトなんてちゃらちゃらしていて聴けないし、ベートーヴェンは通り一遍のやり方だ。
その中で、イヴ・ナットの弾くベートーヴェンとか、コルトーの弾くシューマンとかは、
むしろフランス人にとって「異端」だよね。でも実際にはそういう、
ちゃらちゃらしてないものがフランスでも評価されるわけ。ドイツ人はドイツ人で、フォーレやドビュッシーとか、ピンとこないんだね。
つまり音楽というのは深いところで思索するものだって考え方がある。
でもドイツでは言われたんだ、いろんなものを弾いていいけれど、
最終的に勝負をするのはやっぱりドイツ音楽じゃないか、って。ピアノにとっての重要な名曲、
核心となるものを考えてみろ、やはりベートーヴェンであり、ブラームスであり、
シューマンであり…これがだめだったら、他の装飾的な音楽がいくらうまくても駄目じゃないか、
って言われた。たしかにその通りだと思う。音楽家として、指揮者として、
ベートーヴェンやブラームスやブルックナーができない人はやっぱり尊敬できない。
フルトヴェングラーなんかすごかったな。彼のベートーヴェン演奏は音楽家の体験として最大だったね。
ヴァーグナーの〈トリスタンとイゾルデ〉とか〈ニュルンベルクのマイスタージンガー〉とかも、
圧倒的だった。そういう体験によって、自分の背骨をバーンと叩かれた感じがする。
やっぱり哲学的な思索、観念的な思索を音楽に求めたいと思ったんだよ。
ドビュッシーは素晴らしい音楽だし、ショパンをきれいに弾くのだって難しい。
でもやっぱりベートーヴェンとかそういうのが弾けなきゃ音楽家として駄目だと思うんだな。
しかし僕はフランス人でもドイツ人でもどっちでもない。だから帰ってきて、
「私はフランス派」「僕はドイツ派でござい」とか吹聴するのはおかしいんだ。
自分の中のどこを切ったって、フランスの血もドイツの血もないはずだ。
だから、透徹した、醒めた目で物事を見なければいかん、ということを、僕は逆に外国に行って叩き込まれたと思う。
自分のテクニックというのは、レオ・シロタ先生から受け継いだいわゆるロシアのヴィルトゥオーゾの形だし、
それを音楽に応じてどう対処させるかということを考えていくわけだ。
たとえばフランスの音楽をやるときはフランスのルーツを知るべきであって、
その時ドイツ人みたいにゴツゴツしてたんじゃ意味がない。
はからずも園田さんのドイツ音楽への敬愛の思いが浮き彫りになったようだ。
しかし、同時に、単なる伝統への追従ではなく、日本人としてその伝統とどう向き合うか、
という怜悧な批評意識がそこにあることに気づかされる。
それにしても、戦前の大演奏家の伝統に直接触れることができた園田さんの「体験の重み」は非常に大きい。
その園田さんの目に、今の音楽界の現状はどう映っているのだろう?
やはり、伝統が非常に希薄な感じがするね。いわば「無国籍軍」だろう。
こないだドイツのあるプロフェッサーとコンクールで会って、彼に「バックハウス聴いた、
ギーゼキング聴いた」って話をしたんだ。すると彼は不思議な顔をするわけ。
そこで「あなたはどこで勉強したのですか」って聞いたらカールスルーエで種田直之先生に学んだって言うんだよ。
その後でジュリアードに行ってジョーゼフ・レヴィンの奥さん(ロジーナ・レヴィン)のレッスンを受けた。
彼は世代的にはバックハウスを生で聴くチャンスがあったのに、聴いていない。
「じゃあ誰を聴いたんだ」ってきいたら頭かかえちゃった。
そういうのが今、ドイツのプロフェッサー。教育が悪いんだ。愕然とした。
なるほど、では、過去の演奏伝統への批評的アプローチとも言えるオリジナル楽器演奏、
およびそれに影響された新しい演奏傾向について、園田さんはどう感じられているだろう?
古楽器演奏はこれはこれでひとつの価値があると思う。ただし危険もある。
ニコラウス・アーノンクール(指揮者)が『古楽とは何か』でも書いていることだけれどね、
ブームが来たというので楽器製造者がとんでもないブリキの寄せ集めみたいなけたたましいチェンバロを作ったりしてこれが本物であると売る、
という弊害がある。それに本来小さい部屋で聴いていた楽器を大会場でやったりするのは間違いでしょう?
そういうところを厳しくチェックした上で提示をしないと、ゆがんだ形で伝わる危険があると思う。
家のオーディオで古楽器をやたらと増幅した形で聴くのも嘘だと思う。
今はやらなくなったけれど一時期マイクを蓋に突っ込んでバリバリ録音するようなのがあった。
チェンバロの弦をプチプチはじくような音を聞いて随喜の涙を流すようなことはありえないわけでね。
チェンバロは、えもいわれぬ、ツイーンっていう弱音が心地いいわけで、誇張して聴かせるのは邪道だ。
しゃべる声を録音するのにマイクを口に突っ込んで録音しますか?
そういうのを喜ぶのは日本のオーディオマニアだ。
アーノンクールは素晴らしいね。しかしあの人はすごく厳しい人だからさ、日本では人気がでない。
「心地よい」音楽家じゃなくて、演奏についても音楽学者のように追求するからね。
でも彼は音楽家。彼の書いたものも演奏も、理由があると思う。
モーツァルトのシンフォニーやバッハのブランデンブルク協奏曲をいれたLDを見たけど、
すごく音楽を感じる。モーツァルトの交響曲第40番は、最初のメロディーから、
古楽器で弾いている感じ、なるほどそうやって弾いたんだなという感動を、演奏から受けることができる。
あれを聴いた後では流行のF1みたいなモーツァルトなんて、やめてくれ!っていいたくなるね。
アーノンクールってのはそういう意味で、大音楽家だよ。
あとサイモン・ラトルには期待してる。彼は若い感覚の世代だけど、
昔の人がどう演奏したかということに対する、ものすごい尊敬があるよ。
彼はバーミンガム(市交響楽団の指揮者)で名前が出てきたときも引く手あまただったんだけど、
どこへも行かなかった。そこで腰を据えて音楽を研究したんだ。その態度は本当に正しいと思う。
だからラトルが多国籍軍のベルリン・フィルと組んだら、ベルリン・フィルはまた復活するんじゃないかと期待してるんだ。
ヨーロッパは今、そうやって自分のアイデンティティを改めてかみ締めて、仕事をしている。
だから日本も、商業主義と結託して精神を失っていたら、うまく行くわけないよ。
ブラームスの伝記も読んだことがない、彼の音楽人生について熟考したこともない、
それじゃブラームスの音楽はわからない。そういう意味で、教育が大事なんだけど、
現状は索漠たる思いだね。
最後に、「伝統」に出会うことが困難な若い音楽家へのメッセージをいただいた。
まあ、僕は神様じゃないから予言はできないけれども…。たとえば僕なら、学者として、
研究者として、フランス音楽ならフランス人がどうやってそれを築いてきたかのルーツを知りたい。
上っ面の、記号だけの判断でできた音楽は結局コンピュータ遊戯とあまり変わらないものだと思う。
そういう音楽の捉え方はしたくないわけだ。やっぱり、精神に触れたいわけ。
ドイツならファウストとかさ、ニーチェとかさ。そういう著作に対し、
同じドイツ人であるベートーヴェンが、ブラームスがどうとらえていたか、
考えることが必要なんだ。そういう体験を経て、日本人である自分として、
ドイツ人はどう感じ考えているか、どう演奏すべきか、というところに考えが来る。
プルーストなんか、カペ弦楽四重奏団の弾くベートーヴェンを聴いて『失われた時を求めて』を書いたわけだ。
もちろんベートーヴェンの後期の弦楽四重奏とプルーストの小説はまったく違うものだけれど、
でもそうやって書いたということを知ると、プルーストの文章が違って見えてくる。
あるいはマラルメの詩とか読んで、なぜドビュッシーはこの詩にひっかかったのかな、
ということに興味が湧かなきゃ。音符の羅列だけでドビュッシーの音楽を解明できると思う?
聞き手:矢沢孝樹(水戸芸術館音楽部門)
1月16日 水戸京成ホテル「バンブー」にて
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