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ミニ・レクチャー
ピアノのための公開セミナー 講師:園田高弘
第11回 楽譜について (1) 2000年10月 6日(金)

今日は「楽譜について」お話しします。 音楽を勉強する時に最初に目にするのが楽譜です。 楽譜というのは見れば分かるように、常に白か黒で音符が書かれている。 そして小節がある。行がある。 目で追っていくと自然に次の段落へ移るようになって、2行目、3行目、4行目、 そしてある段落で次の頁へ移っていく。これを誰もが自然なことだと思っています。 しかしよく考えてみると、ある行の最後の小節から、次の行の始めのところへ旋律がまたがっていたりすると、 音楽の感じが途切れるようなことが起きるのです。 ことにそれが頁を繰って、次の頁の頭へとつながる時は、よほどそのフレーズが、 どこからどこへつながっているのかを意識していないと途切れた感じになってしまう。 ピアノを勉強している人は、みんなその悩みを持っているわけです。

昔、私が学生だった頃、モダンボーイな指揮者の先生がいて、よく音楽談義をするんですよ。 面白いことをふざけておっしゃる。で、「音楽が今みたいな楽譜に印刷されているから駄目なんだ」と言うわけです。 「本来、音楽というのはずっとつながっているじゃないか、だから、トイレットペーパーのようにずらっと印刷されていれば、 君たち学生だって随分違ったように音楽を捕らえるんじゃないかな」なんて話をするんです。 で、みんなワハハと笑ったんですよ。ところが勉強していく間に、 その先生の言ったことが笑えなくなってきた。 つまり、行が変わったり、頁を繰ったりすることによって、音楽が途切れてしまう。 一貫して考えていないことが、だんだん痛切に分かってくるんですね。

例えば、音楽は拍子によって、小節の数とか、幅が決められているわけですね。 ある一定の幅で書かれている。 ところが印刷の場合、音が沢山あると、その小節は幅が拡大されてその中に密集して音符が書かれる。一方、音が少ないときは縮められ、 狭められて書かれていることが多い。休止符の場合は、幅が極端に狭められています。 反対に、音が沢山ある小節っていうのは、見間違わないように、とか、記号がいっぱいあるからとか、 殊更に拡大されて幅をとって書かれていたりします。 その結果どういうことが起こるかと言うと、これはよく学習者に見られることなんですが、 音が沢山ある場所はゆっくり弾くようになる。 そして少ないと早くなってしまう。こうなると、楽譜のせいでまったく違った音楽の像というものを見ていることになるんじゃないかと思う訳です。 だから、もし小節の幅がある一定の大きさに決まっていて、音が多い時にはそこにぎっしり書かれている、 少ない時にも同じ幅になっているということであれば、 休止符を軽視したりとか、音が少ないから簡単だと思うようなことはなくなるんじゃないかと思うわけです。 しかし、これは出版社の都合があってなかなか改善できない。 どうしても、紙面を沢山とると印刷費が高くなるとかいろんな問題があるために、 つめられるところはつめて、音が沢山あるところは拡大して印刷するっていうことが普通になっているようですね。

となると、楽譜から受ける音楽の印象は、実にいい加減なものだということになります。 だから、楽譜というのは、便宜上、大凡の音がどこの位置にあるということが書かれているものでそこに音楽が書かれているわけではない、 と思うことが大切なのです。 したがって、そこから音楽を読み取るということは、難しい訓練のいることなのです。 我々がよく外国なんかで耳にするのは、専門の先生が「いや、それはそう書かれているけど、 そうは弾かないんだよ」とおっしゃっている。「モーツァルトはそういう風に書かれてはいるけど、 そうは弾いてないよ」とか、「ショパンはそう書かれているけれども、習慣的にはこういう風に弾くんだよ」と。 そういう風なことを聞くと、どういう風に弾くかということが最大の問題だ、 ということが分かるわけです。 みんな同じ楽譜を見ている。同じ出版社の、或いは、いろんな出版社があっても大体似たり寄ったりの楽譜を見ているわけだけれども、 そこに書いてあるのは大凡のことで、そういう風には誰も弾いていないんだと言われた時に、 みなさんはどうしますか? つまり、楽譜を読み取るということは、非常に難しいことなんですね。

ではどうすればいいのかということで、次の問題がでてきます。 音符というのは白か黒で必ず書かれている。これも問題なんですね。 つまり、薄墨で書かれたり、濃い墨で書いてあったりしないんです。だから私も考えたんですね。 本当は、メロディーだけを濃く書いて、伴奏系を薄く書く、或いは、かすむように書いてあったら、 すべての音符をどれも同じ感覚や同じ強さでは弾かなくなると思うんです。 ところが、実際はすべて同じ濃度で書いてある。 旋律というのは、初めから濃くでているわけではない、だんだんに浮かび上がって強調されてくる。 反対にだんだんかすんでいく、ということもあるわけです。 もし、そういう風に印刷されていれば、パッと見た時に「あぁ、これはメロディーをこういう風にして、 ここが山で、ここでまた消えていくんだな」ということが分かる筈です。 ところが、そう書かれていないんですね。

音楽にはまた、基本的な進行速度というのがある。 しかし、それはあくまで基本的な速さということで、絶対にこの速さでなくてはいけないということはない。 メトロノームのような絶対的な律動というものはない訳です。 にもかかわらず、テンポ指示があったり、作品によってはメトロノーム記号が書いてあったりするからまた迷うんですね。 当然あるメロディーの終わりには、終わりますよというような雰囲気がある、 いきなりパッと終わるのではなく、やっぱりなにかこう余韻がある。 そこにはアゴーギクという面倒くさい問題が生じてきます。 そういうことが、音符や楽譜には書かれていないんです。 しかも、音が4つあっても6つあっても、無機的に等間隔に印刷してある。ところが等間隔には誰も弾かないんです。 こういうことが日本ではなかなか分かっていただけない。 では、外国ではどうするかというと、先生が「いや、そう書いてあるけどそうじゃないんだ」「こういう風にルバートするんだ」「こういう風にアゴーギクするんだ」と言って弾いてくれたり、演奏会でいろいろ耳にしたりするんですね。 そうすると、そこで「音楽の伝承」という受け伝えが行われる。 だからモーツァルトはこういう風に弾く、ベートーヴェンはこういう風に、シューマンはこういう風に、 ラヴェルはこうだ、フォーレはどうで、ドビュッシーはどうでっていうのが受け伝わるんですね。 音符には書いてない、楽譜には何にも書いてない、書けないこと。それを読み取らないことには、 本当の音楽の勉強にはなり得ないのではないかと思います。 今日は<楽譜について (1)>ということで、そういうお話をレクチャーしました。



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