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パーセル・クヮルテット・オペラ・プロジェクト
モンテヴェルディ 音楽寓話劇 <オルフェーオ>
演出家スティーヴン・ラングリッジ、振付師イアン・スピンク両氏からのメッセージ
"Ahi caso acerbo ああ、痛々しい出来事"
スティーヴン・ラングリッジ(演出)
この解説を書く少し前、ニューヨークでは何千もの命が予期せぬ大惨事によって粉砕された。
日常生活を営んでいる普通の人々がである。
悲劇は高貴の生まれの古人だけのものではない。
悲嘆にくれる貴人の姿はオペラにお定まりのものではない。
私たちは 9月11日より前にこのことに気づくべきだったかもしれないが、
今は知っている。モンテヴェルディの<オルフェーオ>を上演するのに、
今ほどふさわしい時はないと言えるだろう。
これは、1人の男とその周りの人々が突然の悲劇の後、命の意味を理解するために奮闘するさまを描いたオペラである。
リチャード・ブースビーが<オルフェーオ>を演出してほしいと頼んできたとき、彼はこう言った。
指揮者はいない、そして演奏者たちはオーケストラ・ピットに押し込められるのではなくステージで動作をしたいと思っているのだ、と。
これはすばらしいアイディアだと私は思った。結局のところ<オルフェーオ>はアンサンブル・オペラなのである。
つまり、スターだけを頼りにするのではなく、マドリガル的なコーラスを中心としたグループの感受性と、
そしてレチタティーヴォにおける歌手と器楽奏者の親密さと融通性の上に成り立っているのである。
オルペウス(イタリア語ではオルフェーオ)神話には、
プレ・ヘレニズムに存在した家母長社会で太陽王をいけにえの代表者として選ぶ習わしが投影されている。
彼は年の終わりにいけにえとして捧げられ、その血は豊作を祈願して大地に撒かれたのである。
アポロンの子オルペウスはディオニュソスに従う巫女たちによって引き裂かれる。
モンテヴェルディの<オルフェーオ>初版では主人公はこのような運命にも苦しめられた。
私たちはこの古い版の台本を持っているが、音楽は最後の踊り--暴力的な結末の痕跡--の部分以外にない。
<オルフェーオ>の音楽独特の宗教的で儀式的な香りと併せて、私はこの作品が劇化された聖なる神秘であると同時に、語られ演じられたストーリーであると考えるに至った。
この上演で私たちが考えていたのは、神々と神話と儀式が日常生活と密接につながっているけれども、明らかに近代であると見てとれる田園社会を創り出すことだった。
私はこの演出を改定したいと考えた。
それは、一つのストーリーを注ぎ込んだ歴史的なスタイルとしてではなく、登場人物たちの感情を盛り込むのに必要な形に見えるように作品を構成したかったからである。
(モンテヴェルディは、結局のところ、決まったパターンをなぞるのではなく、
新しいオペラを創造しようとしたのである。)
私たちが参考にした資料は地理的に広範囲の地域--ギリシア、メキシコ、スペインのフェスティヴァルからヨーロッパのジプシーの日常生活と祭式まで--と、
戦争に引き裂かれたバルカン諸国の荒れ果てた風景に立つ人々から得られた(第 1幕の最初から最後まで、コーラスは、自分たちが今そこから脱け出ようとしていると信じている不幸な時代についてこう語る。
「苦しみと悩みの恐れと影が遠くに追い払われた」
"E lunge omai desgombre / Degli affanni e del duol gli orrori e l'ombre"
村人たち(歌手、ダンサー、器楽奏者によって演じられる)が集まり、オルフェーオとエウリディーチェの昔話を話し出す。
それは犠牲のセレモニーであり、愛と喪失の儀式であり、神話として演じられる1人の男の悲嘆である。
私たちが目にするのはプルトーネ、音楽、オルフェーオ等であるが、私たちは同時に、演じるだけでなく、
登場人物になりきって魂にのり移られたように演じる人間の姿も目にする。
ムーヴメント(動作)
イアン・スピンク(振付)
<オルフェーオ>の制作で苦労したことのひとつは、オペラの核から立ち消えていく悲嘆の情景とどう取り組むかにある。
すぐれた名人芸的な音楽はこれを完璧に表現する。
だが、物語をステージ上でどう肉付けするかとなると別問題である。
悲嘆のおおっぴらな表現は、おそらく私たち英国の人間としては、避けて通りたい領域であろう。
オルフェーオの世界の人々は大地やその霊と深い関係を持ち、独特の感情をもって季節に反応する。
彼らはイマジネーションによって単純な儀式を創り出すのであるが、それは彼らを守り、現世の力と神秘的な力に従わせる。
私たちはこの世界のために、お祝い気分、喜び、悲しみ、苦しみにとらわれた人間のごく細かな心の襞を包み込んだムーヴメント・ラングイッジ(動作言語=動作による表現法)を創ろうとしてきた。
彼らが創造する儀式は、日々の生活の一部であって、強い共同体意識によって表される。
オペラの冒頭付近では、男と女の分離が一つの重要なテーマであり、
一方オルフェーオとエウリディーチェは喜びにあふれた性の結合を象徴する。
共同体意識と信頼感が最高潮に達したとき、古代の人々の輪、豊穣の踊り、ヘビのモチーフが現れる。
後に、悲劇が襲うとき、グループ分けのための新しい、より厳格な言語が見えてくる。
オルフェーオ、エウリディーチェの死の知らせを持ってきた使者とコロス(合唱隊)は、
悲劇の中でばらばらの存在となる。
今や共同体はギリシア人のコロスという単一のまとまった存在となった。
エウリディーチェを取り戻すオルフェーオの旅は、人間の条件のもうひとつの面を表す。
肉体がそれぞれの者の記憶の世界を漂い、互いの肉体に触れあうことも通常の世界に触れることもできない。
オルフェーオが失意のうちにこの人間界へ帰ってきたとき、私たちは再び、単純なイメージでストーリーを演じる共同体の前に立つ。
これでサイクルは完結するが、オルフェーオはすでにより高い位置へ移動してしまった。
私たちは振り出しに戻ったのである。新しい始まり。
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