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モーツァルトのヴァイオリン/ドミトリー・バディアロフ (ヴァイオリニスト、 ミト・デラルコ メンバー)

訳:鈴木秀美(同メンバー)

*このエッセイはミト・デラルコ第3回演奏会のプログラムに掲載したものです。


モーツァルト時代のヴァイオリンやヴィオラ、チェロなどの構造は現代のそれとは違っていたが、もっとも重要なのは響きの違いである。 実際そこには、二つの響きの理想というものがあった。 一つは『人の声の響き』と呼ばれるもので、コンサート用ヴァイオリン(訳注:ソロ、室内楽用といった意味)の音がそれである。 もう一方は『銀の響き』と呼ばれ、オーケストラのヴァイオリンのものである。

2種類のヴァイオリンの存在は、1777年10月6日にモーツァルトが父レーオポルトに宛てて書いた手紙からも明らかである。 『彼ら(タルティーニの弟子、デュブレイユと彼の一番年下の息子カール)がコンサート用とオーケストラ用のヴァイオリンについて討論し始めたとき、彼らの理由付けはとても明らかで、いつも私と同意であった』。 5年後、モーツァルトが26歳になった1782年に、パドヴァの製作家アントニオ・バガテッラは『メモワール、もしくはヴァイオリン・ヴィオラ・チェロ・コントラバスの構造に関する規則』と題するヴァイオリン製作のための論文を出版した。 そこで彼は『人の声の響き』と『銀の響き』をどのようにして得るかについて教えている。P.リヒテンタール(モーツァルトの息子カールの近しい友人)は、1826年に出版した彼の『音楽辞典』の中で、モーツァルトの時代にあった二つの音の理想について述べている。 これらの資料から、2種類のヴァイオリンが数十年にわたって存在したことは明らかであり、19世紀初期になってもまだそれが思い出されたのである。

バガテッラは、古い『バロック』から『クラシック』へと楽器を変化させた最初にして最も有名な楽器作りの一人である。 『私は、自分で作ったよりも数多くの古い楽器の(訳注:長さや厚さの)割合を適当なものとした』。 彼の『メモワール』によれば、彼はおよそ19歳で楽器作りを始めている。 1748年のクリスマスの夜、彼は(訳注:楽器製作の)規則を発見し、それが彼のメソードとなった。 これがおそらく、ヴァイオリンが『クラシカル』な性格へと改変された最初であろう。 これはちょうど、タルティーニとジェミニアーニがそれぞれヴァイオリン奏法の教則本を出版する前であった(1750年と51年)。 数年後、56年にレーオポルト・モーツァルトが教則本を出版し、同年モーツァルトが生まれた。

バガテッラのメソードは割合のデザインで、楽器の全てのパーツが完璧な調和の下に組立てられるものである。 彼は、昔は調和のとれていたものが彼の時代にはとれていないと考え、その規則を発見したのである。 しかるに、『人の声の響き』を得るためには、楽器の表板(f孔があいている楽器上部の板)が平均な厚さでなければならない。 『銀の響き』を得るためには、表板の真ん中がいくらか分厚くなければならない。 したがってバガテッラは、『人の声』サウンドを要求されたときには表板を平均な厚さにし、『銀』サウンドのときには真ん中を少し厚くして、横板へ向かうにつれて薄くなるようにしたのである。 どちらの場合にも、アウトラインや厚さはある割合に沿って変更された。 彼らがどのようにして『人の声』と『銀の』響きを区別したのか、私たちには判らない。 多くのストラディヴァリや他のメーカーの楽器は、表板が平均な厚さである。 それらは多分『人の声』のようなヴァイオリンと言われたのだろう。 パガニーニの使用したグァルネリは真ん中が分厚い。 あれはバガテッラの時代に『銀の響き』と言われたのだろうか。 パガニーニの手によっても『銀の響き』だったのだろうか。 それは永久に答えの得られない質問であるが、ひとつ確かなのは、あれがパガニーニの『コンサート』用ヴァイオリンだったということである。

1782年、バガテッラは49歳。有名であった。彼はこのように書いている。 『およそ30年の長きに渡って、私はタルティーニ氏と彼の弟子たちの楽器を扱う機会を得てきた。 彼には、ヨーロッパ中のプリンスによって送られてきた数多くの弟子がいた。』 『私はジュゼッペ・タルティーニ氏の注文のために多くの楽器を変えた』、また『他の多くも彼の注文のために作られたが、彼がそれをどこへ送ったのかはまったく知らない。』 タルティーニは有名な、音の新しいエステティック(美学)の担い手であった。 おそらくモーツァルトはバガテッラについて話を聞いたであろう。デュブレイユがヴォルフガングとヴァイオリンについて話をしたとき、バガテッラについて話さなかったとは信じられない。

バガテッラは何十人もの顧客の名前を「メモワール」に記している。その中にモーツァルト親子の名前はないものの、レーオポルトがそのうちの一人であったことは可能である。 『中には名前を思い出せない多くの外人がいた』とあるからである。

ヴォルフガングの音楽教育について大きな助けをしたレーオポルトは、また彼にいくつかの楽器も持たせた。 もともと『バロック』であったこれらの楽器は18世紀後半に改造された。 それらのうちいくつかはモーツァルトの所蔵品で、ザルツブルクのモーツァルト博物館に保管されている。 1.子供のヴァイオリン−1896年以来モーツァルト博物館の所蔵。 2.“Jakobus Stainer, in Absam,/ prope Oenipotum, 1659”という贋のラベルの入ったヴァイオリン。 これはおそらく、18世紀前半にミッテンヴァルトで作られたもので、1781年までモーツァルトが使用した。 3.“...jouani Paolo Megini/a Brescia. -161*”というラベルの入ったヴィオラ。 これら以外にいくつかの疑わしい所蔵品があり、それらはヨーロッパ各地のコレクションに保存されている。

これらは、ミト・デラルコが聴衆にお届けすることを熱望する、モーツァルトの弦楽四重奏曲という宝石の僅かな隠れた彫面である。 私たちの楽器がタルティーニやバガテッラ、そしてモーツァルトなどによって何と呼ばれるか、それは謎である。 私たちも、それを聴衆の皆様の楽しみにしておくこととしよう。


モーツァルト博物館の楽器(文中参照)
小型のヴァイオリン・オリジナルのネック、その他オリジナルな部品は失われており、モダンの指板、テールピースと駒が付けられている。

ヴァイオリンとヴィオラ。ヴィオラは元のサイズではなく、オリジナルのネックと指板は18世紀か19世紀初めに変形されている。 ヴァイオリンのネックはオリジナルで古い指板が付いているが、ネックは細くされている。3つとも、モーツァルトの持ち物であったという特定を真面目に取ることは難しい。

写真提供・解説:ドミトリー・バディアロフ(訳・鈴木秀美)



Baroque Violin and Viola da braccio research & reconstruction site by Dmitry Badiarov
http://www.violadabraccio.com/



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