お問い合わせ
Mail to: webstaff@arttowermito.or.jp
Phone: 029-227-8111


シュテファン・フッソング インタビュー
「アコーディオンは身体と呼吸を受け止める」


1999年 1月22日 東京千駄ヶ谷にて
インタビュアー:矢沢 孝樹(水戸芸術館音楽部門)
通訳:都賀 潔子
協力:ソティエ音楽工房

*公演は、1999年 3月13日(土)、水戸芸術館コンサートホールATMで行いました。



生まれながらのアコーディオニスト

―まず始めに、フッソングさんがどのようにアコーディオンに出会われ、 どんなところに魅かれていったかについてお話しいただければと思います。 最初にアコーディオンに出会われたのは4歳の時で、お父様に勧められてと伺いましたが。

フッソング(以下 H):ええ。僕の父は音楽好きでしたが、 戦争のために楽器を買うことができず、30歳になってアマチュア音楽家としてアコーディオンを弾き始めた人間です。 彼は2人の息子にも音楽をさせたいと考え、ギターとアコーディオンという2つの楽器を選ばせた。 その結果、父の演奏姿をいつも見ていた僕はアコーディオンを選び、音楽家になった。一方、 ギターを選んだ弟はTVカメラマンになりました。弟の方が賢い選択だったかな(笑)。

―(笑)おかげで私たちはフッソングさんの音楽に出会えるわけですから、 その選択とお父様に感謝したいと思います。 では、そんな偶然に導かれて始められたアコーディオンの魅力を、積極的に意識し始めたのはいつごろで、 どんなきっかけからでしょうか。

H: 11歳の頃にアコーディオン音楽の専門コースを取ったのですが、 そこでフーゴ・ノート先生と出会ったことが大きかったですね。 当時世界でも数少ないアコーディオン奏者であった彼に、 アコーディオンによっていろんな音楽を演奏する可能性を示されたのです。たとえば、 ペア・ネアゴーやイプ・ネアホルム(いずれも北欧の作曲家)などの、アコーディオンのための現代音楽は、 それまで民謡とかピアノの小品を主に弾いていた僕にとって「こんな世界もあるのか!」と目を見開かされる思いでした。 現代音楽を弾いていると、家族からはさんざん言われましたけど(笑)。 それから、スカルラッティやバッハなど、バロック期の鍵盤音楽をアコーディオンで演奏できる、 と先生に教えられたことも重要ですね。子供の頃、讃美歌集の中に含まれていたバッハのインヴェンションを、 自分で筆写して演奏したりしてはいたのですが、ちゃんとした楽譜として見るのは、 それが初めてでした。それがバッハの音楽であることも、まさにその時知ったわけです(笑)。

―なるほど、バッハと現代作品が、同時に視界に入ってきたわけですか。 それにしても、他楽器作品の編曲というアコーディオン音楽の可能性のひとつを、 幼少の頃から追求されていたとはすごいですね。

H:その時は何も考えていなかったけれどね(笑)。


新しくて古い音楽/古くて新しい音楽

―今のお話を伺って、アコーディオンのための新しい音楽、 およびアコーディオンによって「再生」する、バロック音楽を中心とした古い音楽、 というフッソングさんのレパートリーの中核をなす2つの柱が、 幼少のころからごく自然に形成されていったことがわかりました。 この2つの柱は、フッソングさんのコンサートの中で様々に組み合わされて登場します。 フッソングさんの中で、それぞれの音楽は、どのような位置を占めているのでしょうか。

H:まず、僕が自分の楽器で本当に演奏したいと思う音楽(現代音楽)が、 いつも皆さんの気に入るとは限りません(笑)。 だから、初めてアコーディオンの演奏を聴かれる方のために、できるだけ、 この楽器の持っている様々な特色を体験していただけるようなプログラムを組みます。 でも、ばらばらに色んな物を並べるのではなく、プログラムにそれぞれ基本的な流れを設定し、 その中でさまざまなものを提示したいと考えています。

―その「基本的な流れ」に、いつもフッソングさんならではの主張がこめられているように感じるのですが。 つまり、「古い音楽」と「新しい音楽」を意図的に出会わせて、何か新しいものを生み出そうという…。

H:きのう、小沼純一さん(音楽評論家。著書に『ピアソラ』『ミニマル・ミュージック』など)と「音楽において、"進化"って一体あるのだろうか?」という話をしたんですよ。 時代によって音楽は変化するけれど、ある時点で過去を振り返ると、 今まで「新しい」と思っていたものが古く映ったり、逆に「古い」と思っていた音楽が新しい発見をもたらしてくれることって、 あるのじゃないだろうか。それらを併置してみたら、気がつかなかったものが見えてくるかもしれない。 たとえば、今回の演奏会で僕は20世紀の作曲家ケージと17世紀の作曲家フレスコバルディの、 同じニ短調に基づく作品を続けて演奏します。するとおもしろいことに、 和声的に見るとケージよりフレスコバルディの方がはるかに複雑で、 「進んだ」感じがする。また、ケージの作品は対称性とか空間性といったものをすごく意識していて、 音が遠くに拡がってゆくような音楽であるのに対し、4声体で書かれているフレスコバルディの音楽はもっと一点に向かって凝縮されてゆくような、 私たちにより「近い」印象を与える。 ほかにも、時代は離れているけれど同じテキストに基づいている、 グバイドゥーリナの<深き淵より>とバッハのコラールの関係性とか…。 こういう、「新しいもの」と「古いもの」の関係を併置してみせることは、本当におもしろい。

―そのようなお考えには、古い音楽を「古典」という名の神棚にあげてよしとするのではなく、 いつもそれを私たちの生きている時代の方へ引き寄せてゆこうとせずにはいられない、 フッソングさんの姿勢を強く感じるのですが。

H:ええ、そうです。創造的な音楽というものは、時代が変わってもいつもその価値を保ち続けています。 でも、演奏するとき、ただ単に昔から続いているやり方を同じように繰り返すばかりでは、 その創造性を引き出すことはできない。 その音楽の中に入りこんで、「再創造する」ことが必要なんです。 例えば、バッハのチェンバロ曲は、ある意味ではチェンバロでは演奏し切れない部分があると思う。 それは別にバッハは愚かだったからではなく(笑)、 ちゃんと理由があってのことだと思うんです。つまり、すぐれた一人の作曲家として、 「目の前にある楽器を通じて今できること」の枠に囚われてしまいたくなかった。 いつも限界を意識していたら、そこから先の音楽的可能性を求めることができなくなってしまう。 だからバッハは、楽器に限界以上のものを要求した。 チェンバロ曲もそうだし、無伴奏ヴァイオリンやチェロのための作品も、 そうですよね。つまり何を言いたいかといえば、こうした音楽に潜在する色彩や衝撃力は、 いまだに全てが発見され得ているとは思えないのです。 それを引き出してゆくことが、現代の僕たちのだいじな仕事なのではないでしょうか。 嬉しいことに、作曲家が現存していると、この仕事を「共同作業」として行なうことができるんですよ。 たとえば今回の演奏会では 原田敬子さんが僕のために新作を書いて下さいますが、 15ページもある難曲で、これを3月までにどうしようかと悩んでいる(笑)。 まあそれはともかく、彼女と僕とは意見を交換し合うことができるわけです。 それは、曲そのものをさらに発展させうる、ひとつのプロセスです。 できあいの形に自分をあてはめてゆくのではなく、 オープンな、進行性の作業を通じて音楽を発展させてゆくプロセスなのです。


アコーディオンは身体とつながっている

―ここで楽器にスポットを当てたいと思います。 今おっしゃられた、「新しい音楽」を「発展」させたり、「古い音楽」の可能性を「発見」したりするために、 アコーディオンはどんな役割を果たしているのでしょうか。

H:アコーディオンには、現代人が今まさに必要としている、「直接」聴き手に届く表現、 それができるんです。この楽器は僕の身体の動きや呼吸をダイレクトに受け止め、 それを増幅した表現にしてくれる。その結果、聴覚的にも視覚的にも非常に「直接的」なインパクトを、 聴衆にも作曲家にも与えることができていると思います。 実際、現代の作曲家たちは、アコーディオンのために作曲することに積極的な反応を示してくれます。 それに、たとえばピアノでいえば、もうかなりの可能性が楽器から汲み尽くされていて、 これ以上新しい何ができる?とみんな悩んでしまうわけですよ。 しかし新しい楽器であるアコーディオンには、可能性がある。 既存の鍵盤楽器ではできなかった、様々なことができる。ひとつの音を弾きながら、 その音をいろいろ変調させたりとかね。だから、ここ20年くらいで新しいアコーディオン作品のレパートリーは飛躍的に増えています。 かつてはごく限られた作品しかなかったのに、 今や僕はたくさんの中から好きなものを選ぶことができる。 そういう時代になったんですよ。

―「20世紀の楽器」とよくフッソングさんがおっしゃられる所以ですね。

H:一方で、アコーディオンは比較的新しい楽器で、まだ人々に十分受け入れられているとはいえません。だから、様々な音楽を演奏する能力を持った楽器であることを、証明する必要がある。 それは一種の「闘い」です。 たとえばヴァイオリニストがリサイタルを行なって、いい結果が出せなかったら、 人はヴァイオリニストのせいだと思うでしょうが、アコーディオニストの場合、 楽器のせいにされてしまう。だから、必然的にフレキシブルになるというのはありますね。

―しかしその結果、古い音楽にフッソングさんのアコーディオンによって新たな光が当てられるのですから、 そのフレキシブルさは大歓迎です(笑)。


夢の領域へ

―最後に、今回の水戸芸術館のプログラムについて伺います。このプログラム、 17世紀作品から世界初演作品まで、まさしくフッソングさんならではの「新しい音楽と古い音楽が出会う」内容となっていますが、 ケージの曲名"DREAM(夢)"をタイトルにされた意図についてお聞かせください。

H:まず僕の、ケージ作品を集めたCDタイトルと同じ(笑)。 それはともかく、夢というものは、空想的なもので、時にはそこに希望も含まれている。 夢を見ているときには、現実には起き得ないことが起こるわけです。 このプログラムでは、4世紀にわたる音楽の旅をします。4世紀という時間は、 人間の視点で見るときわめて限られた時間ですが、音楽の中ではその現実の限定をとびこえた、 広がりに満ちた感覚を体験できる。また、夢の中では時間や物事の順序が前後したりしますが、 この旅ではそれと同じようなことが起こります (註:新しい音楽と古い音楽が時間の順序を無視して並べられていることを指している)。 この旅を通じ、最後に聴衆の皆さんが一種の宇宙的、空間的なイメージの記憶を身体に染み込ませて、 家路についていただけたら嬉しいですね。

―演奏会が楽しみです。フッソングさん、今日はお話、ありがとうございました。


ホーム 音楽 チケット
施設案内 演劇 友の会

美術


Copyright (C)1999 ART TOWER MITO. All Rights Reserved. Created by TK.
Mail to: webstaff@arttowermito.or.jp