学芸員インタビュー


水谷 みつる(みずたに みつる)さん 

才色兼備の新しい学芸員が来たという、それもボランティアの担当もするらしい。それはそれはと、さっそくインタビューに参上。ところが、ファッショナブルな外観とは裏腹に鋭い頭脳の持ち主であり、理路整然とした応答には敬服しました。特に、最後の質問、この愚問に対する答には一発ガツンとやられた思いです。(鶴野)


★まず、ご自分のことを少々PRを含めて語ってください。

 昨年4月に水戸芸術館に来ました。文化にかかわる仕事を志したのはわりと遅くて、大学生になってからです。それまでも、本や映画や画集、学園祭演劇など、いわゆる文化芸術には親しんでいたのですが、そうした「好き」が「仕事」になり得るなんて思いもよらずに、大学は理系を選びました。ところが、大学に入って行動範囲が広がった途端、趣味の方がおもしろくなってしまい、はじめに演劇、少し遅れて美術にはまりました。

 89年に西武美術館で働き始めました。ちょうどセゾンと改称した時期で、主に広報と展覧会アシスタントを担当して、三年間働きました。その後イギリスに留学して、やはり三年間過ごしました。最初は美術史を学んでいたのですが、どうしても現代がやりたくて一年でロンドンのキュレイター・コースに移りました。ロンドンのアート・シーンが非常に活気づいていた頃で、とても刺激的でした。帰国後は、短・中期のいろいろな仕事をしました。97年度は埼玉近美で非常勤で働いていました。

 イギリスにいた頃は、デュシャンやフルクサスに興味をもって調べていました。修論では、「フルクサスと美術館」という題で、フルクサスがいかにして美術や美術館の制度に疑問を投げかけたかを歴史的に追うと同時に、フルクサスを通して見えてくる現代の美術館や展覧会のあり方を考察しました。私たちが今「美術」と呼んでいるものがどのようにして形成されてきたものなのか、「美術館」で展覧会をするとはどういうことなのか、いつも考えながら仕事をしたいと思っています。

★ ボランティアが行う対話式ギャラリートーク(以下GT)はどうあるべきだと思いますか。

 一口にGTと言っても、その内容や目指すところは、いろいろですよね。作品や作家あるいは美術史についての知識を伝達することに主眼をおくものから、知識によらず、目の前に見えていることから出発して作品を読み解いていくものまで、また、「解説者」が一方向的に話すものから、参加者との双方向的なやりとりを基盤としたものまで、本当にさまざまです。GTをする人も、作家が自作を語るという場合から、評論家、学芸員、ボランティアまで、いろいろな場合があります。

 水戸芸術館では、93年にボランティアによるGTを始めたわけですよね。そしてその当初から、作品の「解説」ではなく、参加者と「対話」しながら見るプロセスを共有する、対話式のGTを目指してきた。その選択の背後には、恒常的にGTを行っていくにはスタッフの数が足りないという消極的な理由や、ボランティアだからこそ参加者と同じ地平に立って作品を共に体験できる、といった積極的な理由のほかに、美術を「見る」ということに対するある重要な考えがあったと思います。

 簡単に言ってしまえば、作品を見る、あるいは作品とかかわるに当たって、美術の知識や経験は必要か――否、必ずしも必要ではない、ということです。美術をほとんど知らない人がふともらした感想に衝撃を受けたという体験を、多くの人たとえば美術家が語っています。それに言うまでもないことですが、知識や経験は絶対ではない。現代美術に日頃から親しんでいる人は特に、このことをいつも実感しているのではないでしょうか。作品を見るに当たって、それまでに積み重ねてきた知識や経験の枠組みから逃れることはできないけれども、一方で、常に見たことのないもの、これまでの枠組みでは捉え切れないものに出会う可能性がある。いつも枠組みを問い直しながら見ることを促され、結局は、目の前に起こっていることを認識し、それに対して自分がどう感じているか、から出発するしかない。それは、専門家も初めて見る人も同じです。だからこそGTにおいて、知識や経験の有無にかかわらず、参加者一人ひとりの観察、発言が重みをもち、それらをつなぎ合わせていくことで作品を見るプロセスを体験、共有できるのではないでしょうか。

 「解説」型のGTの場合、そうしたプロセスを経て専門家が長年にわたって積み上げてきた成果を、ダイジェストして教えてしまうことになりがちです。もちろん、そこにさまざまな知見や作品を読み解くのに有効な鍵が凝縮されていて、大きな手助けになったりもするのですが、一方で、参加者がその内容を吟味する機会に欠けたりもします。せっかく、作品を目の前にしているGTなのですから、まずは作品を出発点に自ら見るプロセスを立ち上げて、そのあとで必要であれば、知識やもっと大きなコンテクストを参照すればよいのではないでしょうか。一回のGTで何もかもやろうとしなくていいと思っています。作品との最初の出会いを興味深いものにすること、また美術館に来たいとか、もう少し調べたいとか、その後の探究につながるようなものにできれば、それで充分です。作品や美術の可能性の全部をそこで探究する必要はありません。ボランティアのGTに期待したいのは、むしろ、作品とそれを見る自分が出発点であることを、メッセージとして伝えることです。

★ 今の日本はすっかり元気をなくしています。このような時こそ現代美術の出番だと思うのですが……。

 というより、美術が垣間見せてくれる可能性、美術が呼び起こす思考、の方が大切でしょう。だから、触媒となるのは別に美術でなくてもいいと思っています。ただ、わかりやすくて単純なメッセージやインスタントな答えや癒しが求められ、あふれている現状では、あいまいで多義的な作品を前に、自分自身の考え方や思いの出どころや行き先に自覚的にならざるを得ない美術は、かえって貴重で有効なのではないかと思います。そういう意味では、自身の感じ方を確かめつつ、「見る」とは何かを再考する今回の「なぜ、これがアートなの?」展と、そのプロセスを共有する対話式のGTは、時代の要請にかなったものではないでしょうか。トークを担当するボランティアの皆さんには多くを期待しています。

*本ページの内容は、1999年3月1日発行当時のものです。



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