ボランティア事務局へのインタビュー


佐藤みか(さとう・みか)さん

今回はこの「168」の編集にも参加している事務局の若手、佐藤みかさんに登場してもらいました。芸術館で働き始めて間もなく2年。メンバーともすっかり馴染んで、定例会の書記役など大忙しの週末です。エネルギッシュな普段の生活の様子も聞きたいものです。


★大学院在学中とのことですが、水戸芸術館現代美術センターには何時から、どのようなきっかけで働くことになったのですか。

 学芸員実習が直接的なきっかけです。5歳から水戸に住み、街に怪しいタワーが伸びていく過程を眺めながら育った私にとって、芸術館は開館前から特別な存在でした。ようやく扉が開かれた高校3年の春から水戸を離れていた大学4年まで、一番足繁く通い一番刺激を受け一番思い入れの強い美術館だったので、ここ以外で実習を行うことは考えてもみませんでした。興味のある空間への好奇心と、それを隔てる見えない壁を感じ続けていたからかもしれません。実習は予感通り発見や確認、新たな疑問に満ちた一度始めたら終わりがない類の実験となりました。

 私自身応募を考えたことがあるボランティアの担当として、学業を続けながら働くことが出来るという話を頂いたときは、どきどきしたものです。実習時に「168」のみならず「inside168」や定例会を見たとき以来、ますます気になっていたこともあって、己の経験の無さをも実験にかけるつもりで「ぜひお願いします」と返事をしたのでした。

 2年間は新たな人・事・物との出会いの連続のなか、cafe168を巡る様々な議論と試行錯誤のうちに過ぎて行った訳ですが、この混乱した過程そのものも実験としてあれこれ考えつつ楽しんでいます。cafe168=“CommunicationAccess ForEveryone”+「現代美術のはじめの一歩」は、私個人の体験にも根ざした、芸術館で創りたいものを端的に表わした言葉です。7年前の春の日にはじめの一歩を踏み入れたときに覚えた期待に反するある種の幻滅。居心地のよさと居場所のなさ。その感覚を初心として、したいことや知りたいことを持った多くの人がアクセスしやすい開かれた扉を持つ時空間を、実験と失敗を繰り返しながら、少しづつでも現実化できればと考えています。

★水戸芸術館現代美術センターはとても非日常的空間だと思うのですが、最近ドキッとした体験があったら聞かせて下さい。

 人は旅人、人は役者が人生指針だったりするので、日常の中の非日常を、非日常の中の日常を堪能することが私の望む生き方なのですが、忙しい毎日に流されて余裕がなくなっている今日この頃です。実際の旅に脱出しないとそうそうドキッとしなくなった気もするので、老化現象かなと最近注意をしています。

 '97年2、3月にブラジルのカルナヴァルを心と体の底から味わった後、アメリカをぐるりと回って来ました。光と陰が色濃く融けたブラジルの熱気の中、バイーア州都サルヴァドールで出会った黒人の男の子は、肌の違いが生き方の違いとなることを、黄色にして白い私の肌に痛みとして焼き付けました。

 返還直前の香港で触れた、昔アテノの安宿で知り合った友人達の生の声と思いは、政治と人の動きに対する私の目の角度を変えました。7月1日の模様はリトアニアの首都ヴィリュニュスのテレビで知ったのですが、ロシアを経てエストニア、ラトヴィアと下りパネヴェジス市で開かれたBALTOACTIONという演劇祭に参加した直後だったので、様々な情景が頭をよぎりました。ソ連の崩壊も、バルト三国の独立も、天安門事件の勃発も、つい先日のことにも思えます。今、かつての強国と三国の若者は、言葉、文化、歴史の葛藤を難無く越えて盛り上がり、新生中国の雑踏の空には、祝典の花火が打ち上がるのです。

 

BALTOACTIONのポスター

4日間の祭の後、アウクシュタイティヤにある十字架の丘を皆で訪れたときの衝撃も蘇ります。モスクワで物乞いの老人達が、リガで花に埋もれた独立記念塔が、ヴィリュニスでKGB博物館が、人々の苦しみが立っているのを目にしていたためか、抑圧に屈しない民族と宗教の証として、癒しと救いの標として広がる大小無数の十字架の群れに言葉を失い、ただただ血を浄う透明な力を湛えたリトアニアの大気を吸い込むばかりでした。立て続く花火が、快音にも不協音にも、生の爆音にも死の破壊音にも、人々の笑いにも嘆きにも耳に響きました。

 

十字架の丘(リトアニア、アウクシュタイティヤ)

★あなたにとって現代美術とは何ですか。

 既知に潜む未知なる何かを見ること、知ること、出会ってしまうことを、善意や悪意、ユーモアやペーソスなどを込めて、意識的にも無意識的にも成す、成させる技や時空間でしょうか。あらゆる芸術は未知に向けた発見装置とも言えますが、いまここにある世界を、いまここに生きる人間が各々の方法で掴み取り、個々の形で表現したものと考えています。

 ミュンスター、カッセル、ヴェネチアといった現代美術の国際芸術祭を巡って体感したものは、アーティストの紡ぎ出すテクストがキュレターや芸術祭自体のコンセプト、特に場と人との繋がりといったコンテクストによって、様々な意味が加えられたり、奪われたりして読み込まれるという現実です。

 現代美術という範疇の中でありとあらゆるものが生み出されている昨今ですが、水戸というコンテクストにおいて、ボランティアというコミュニュケーション・ツールを通して、いかに何を取り込んで織り成すかに興味を持っています。

*本ページの内容は、1998年3月31日発行当時のものです。



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