ボランティア事務局へのインタビュ


森山純子(もりやま・じゅんこ)さん   

 森山さんは美術教育ボランティア発足当初からの事務局員の一人です。しなやかな感性の持ち主で、私たちをいつも暖かい目で見守ってくれました。言いたいこともたくさんあったことでしょうに、ぐっとお腹に納めていたようです。それかあらぬか、現在育児休業中ですが、その忙しさをぬってインタビューに応えてくれました。(鶴野晃) 


★ボランティア制度を始めたいきさつとエピソードなどを教えてください。

 ボランティアを募集する以前の2年間にも、来館者と作品を結ぶための試みを行ってきました。ワークショップ、講演会、学芸員によるギャラリートーク、などに代表される教育普及事業は、学芸員の黒沢さんと私の二人が担当でした。来館者のために最低こんなことが必要だとするプログラムの準備に、今思い出しても感心するほど、朝から晩を越え、また朝まで働いていました。もっとも中には仕事量として無謀だったプログラムもあります。例えばQ-SHEETという質問用紙に作品に対する疑問を書いてギャラリーに置かれたボックスに投函すると、後日担当学芸員による回答が返送されるというシステムは、開館展の時点で質問が殺到し、とてもこなせなくなりました。(あのときお返事できなかった方、ほんとうにごめんなさい。)

 こども、おとな、男、女、わざわざ、たまたま。毎日本当にいろいろな方々が展示室にいらしてくださる…。一日の終わりにアンケートに目を通すとそのことがよくわかります。こころが元気になった、いろいろ考えさせられた、など見知らぬ筆跡にこちらが勇気づけられる一方で、新しい施設ができて早速出かけてみたら、訳の分からないものが並んでいて不快だったというご意見も目立ちました。こうしてギャラリーのそこここに積もっていく拒絶感を少しでも減らし、ひとりひとりに美術館の思いが届くためには、どうしても人の力が必要だ、と確信するのに時間はかかりませんでした。そしてなによりギャラリートーク専門のボランティアを募集するよりどころとなったのは、前年度の夏に行った作品鑑賞ワークショップです。美術教育の専門家でなくても、真剣に作品に対峙すれば、鑑賞者との豊かなコミュニケーションが可能だということを経験しました。美術館側にも多様な人間がいて、鑑賞者とともに自分の持つ世界を作品の前でてらしあわせ、認めあう作業は、きっとそれだけで充分なものではないかしらと思えました。

こうして集まった17名の方々とスタートした活動は、機関誌の発行、研修会など、メンバーの熱意に支えられ広がり、今年cafe168という形に変わろうとしています。これまでをふりかえり一番印象深く思うことは、他者を受け入れていくことの素晴らしさ、ひるがえればしんどさを教えていただいたことでしょうか。作品や来館者と自分との関係よりもさらに、ボランティア内の関係を図ることに多くの時間が費やされてきたことは、ボランティアの方たちも、そしてわたしたちスタッフも始まった時点では想像できなかったのではないでしょうか。年齢、職業もさまざまなボランティアのメンバーは皆等しい立場で、通常の組織において意見が衝突したり、議論が停滞したときに決定を左右する上下関係や、合理化という正義もありません。真摯に関わろうとすればするほど激しく議論し、出口を探してぶつかりあう姿に、見ているこちらまで心を消耗したほどです。

 けれど、おもしろいことにボランティアとは何だろう、活動はどうあるべきかと考えることが、この美術館のボランティアの本質、はじめの目的であった他者とのコミュニケーションをはかることと等価だったのではないでしょうか。さらに柔軟性が求められる今後のcafeの活動が本当のボランタリーの真価が試される場なのかも知れません。

★森山さんの自画像とはどのようなものなのでしょうか。

 以前イチハラヒロコさんの、「私のことは、彼に聞いて。」という作品を展示しましたが、この問いに対してはまさにその気分がぴったりです。あらためて自己分析の材料を考えると、周りの人達の「私」像の寄せ集めでしかないような気がします。自分では小心者のつもりなのに母親にはとても図太いと言われたり、なんて意地悪な気持ちを持っているのかと自己嫌悪に陥れば、感謝のひとことに助けられたり。私の自画像はずいぶんとふにゃふにゃした流動体というところでしょうか。情けないようで、でもそれがいいんだな、とも思えます。出会ったひとやものに教えられ、また少しづつ自由になるのです。

★結婚、出産、そして現在育児休業中ですが、これらの経験は今後のお仕事にどのように反映されるでしょうか。

 結婚して、古い木造の貸家と庭を得ました。妊娠による仕事のペースダウンは、太陽と暮らす日々を私に与えてくれました。蛙、野鳩など訪れる小動物の観察、修行のような草取りや木の剪定、下町の軒先のような鉢植え。この穏やかな気持ちはたとえば植物の成長の誠実さによるのかしらと思ったものです。そして出産は、自分のからだもまたそのように変化するのだと強く意識させられた出来事でした。トイレに行って、お箸を持って、学校に行って…。今まで社会で生きるすべを教えられ続け、やっと大人になれたかなと思った今、突然生き物としての自分にひきずり戻された感じがします。

 また、子どもが生まれて自分の生き方を真剣に考えるようになりました。それは親としての責任というよりは、毎日何かを得て、一生懸命生きる姿に教えられたからです。一緒に生きなおしているんだねと主人は言いました。そして暮らし、育てることから広がる興味は、環境、食料、教育、政治と尽きる事がありません。前よりも少しだけ地に足がつけたかなと感じています。

 美術館もまた象牙の塔であってはならないはずです。まして公立館はなおさら、社会への有用性はなんだろうと折々意識すべきだと思います。子どもに教えられた日々を大切にし、訪れる方たちのそれぞれの暮らしへの想像力を自分の中に持ち続けること、それが私の“受けもち”かな、と感じています。

*本ページの内容は、1997年3月31日発行当時のものです。



[Vol.8 CONTENTSへ]
[168 トップページへ] [ボランティア トップページへ] [ファン倶楽部ページへ]
[現代美術センターへ] [水戸芸術館トップページへ]


本ページweb版「168」は、水戸芸術館現代美術センターボランティアと水戸芸術館webstaffとの共同作業により完成しました。本ページに関するお問い合わせも、水戸芸術館webstaffが承ります。
Copyright ©1999 ART TOWER MITO. All Rights Reserved.
Mail to: webstaff@arttowermito.or.jp