ほんとうの学芸員


黒沢伸(くろさわ・しん)さん  


(平成9年9月30日付で水戸芸術館は退職されています。)


 私達美術教育ボランティアを組織し、「19番目の彼女の足」「相談芸術大学」などを始めとする、様々なプロジェクトのキュレータとして活躍する黒沢伸学芸員からお話しを聞きました。

Q アートを志した理由からお聞きします。

A 僕がアートをやっているのは、根本的には「好きなことだけやり」、「嫌いなことをやらなかった」結果だと思います。確かに学校で絵は得意だった。でも、美大に行ったといっても、選択枝が、他には音響工学しか思い浮かんでいなくて、でも数学が駄目、で、こっちに進むことになった。大学院に行ってからもアーティストや画家になることが一義的な目標とはならなかった。卒業してからは職業高校のデザインの先生、養護学校の美術の先生、美術系出版社のエディター、新聞雑誌のカメラマン、モーターショー設営の大工さん、とかやりました。フリーターですね。小さな広告代理店の企画マンを1か月だけやったこともあります。満員電車がいやなのと、バンド活動に支障があるのでやめましたけど。

Q なぜ水戸芸術館の学芸員になったのですか。

A 水戸芸術館がオープンする1年前までは、バンドでシンセサイザーをやっていたんですが、とても金にならない。そのころに、水戸芸術館というのができるんだけど、そこで学芸員でもやったらどうかという話があった。“でもしか”学芸員ですね。ただ僕は、美術館は作品の墓場だと考えていて、まさか「学芸員」など考えたこともなかった。なぜここに来たかというと、ホールや劇場、ワークショップなどかあって、いろいろできそうかなとは感じたからです。

Q 相談芸術大学(以下相芸大)はどうでしたか。

A 相芸大自体は、虚構そのもの、その象徴としてのリングが中央にあって、教授がうそなら、学生もうそ、そんなことが起こり得たというだけでも、アートの実験として面白かった。大変でしたけどね。ここに来てから6年半になるけど、これまでで一番感動的な出来事があったのも相芸大がらみ。大学の職員をやってくれた方が、僕の“こだわり”に対して「どっちでもいいじゃない」とこたえるんですよ。それで僕は本当に楽になったというか、別の人生観みたいなものを実感しましたね。

Q アートってテイストそのもので「どっちでもいいじゃない」とはかけはなれていませんか。

A そのとおりで、テイストを突き詰めていくのはとても重要なことです。しかもそれは大変なこと、楽しいけどかなり厳しい。で、そうであるからこそ、「どっちでもいいじゃない」ということばが時には本当にありがたい。たわいのないことの大切さを感じたし、そのようなことばを得られたことそのものが、自分にとっては相芸大を象徴していました。相談によって自分の限界を突き抜けていく、ということが実際に非常にポジティヴな形で自分自身にも起こったということです。

Q 唐突ですがアートって一言で言うと。

A いろんな人がアートについて言った言葉がありますけど、僕の好きなのは「真実を伝えるための嘘」とか「食ベたことのないキノコを食ベる」というものでしょうか。まったく新しい自分自身(人間)の可能性を追及する行為そのもの、ですね。 (大和田・工藤)

*本ページの内容は、1995年11月1日発行当時のものです。



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