ART SPEAK

現代美術をいかに征服するか

実践編:フランク・ステラはアーティストか


 昨年6月12日の日曜美術館をたまたま見ていた。ヘルメットを被った数人の男たちがグロテスクな形状の野外彫刻を組み立てていた。「コラボレーションか?いや違う、人が多すぎる。アシスタントたちだろう。」

 ヨーロッパの中世のお城のような 川村記念美術館の全景が映し出された。リュックサックを背負った初老の男がグロテスクな野外彫刻の前に現われた。以前、どこかで見た顔立ちである。ニクソン大統領の特別補佐官ヘンリー・キッシンジャー博士である。私は「人相、外見の似ている人間は考えまで似るものだ。」と常々思っていた。

 「彼が芸術家?どう見ても政治家かビジネスマンだな?」私に、最初の不安がよぎった。「繊細さより信念が強いようだ。現代美術は何でもありとは聞いていたが、作家まで、これまでのイメージではないとは!」と驚きを禁じ得なかった。ステラは自作の彫刻の前で作品について話し始めた。「評論家でもあるのか。ますます判らなくなってきたな!」

 この時点で説明のしようがない確かな不安に襲われてしまった。そこで美術辞典を調べた。「シェイプト・キャンヴァスを広めたミニマリズムの作家」との記述があったが、実感できなかった。一方で自己の探求心が沸いてきたので新聞社に勤める知合いに電話を入れ、 川村記念美術館の学芸員を紹介していただいた。

  川村記念美術館の入口をくぐったのは、1ヶ月後の7月中旬、うだるような暑さであった。左手に池を眺めながら、途中あのグロテスクな野外彫刻を右に見ながら、立ち止まらずに受付へと急いだ。宇宙船のエンジン部の内部構造の姿に似ているなと思いつつ。面会を申し出ると間もなく学芸員のZ氏が現れた。彼の計らいで、個人的にギャラリートークをしていただくことになった。

 最初に案内されたのは、壁画の作品のある部屋であった。同様の作品は、既にカナダのトロントにある プリンセス・オブ・ウェールズ劇場のロビー、ラウンジ、天井および建物外壁に制作・設置されてあるとのこと。葉巻の煙をビデオ撮影し、コンピュータで解析してその形を紙に切り抜きカラフルに仕上げたものでコラージュ化したマケット。その外見と同じ作品があった。それは、マケット・コラージュを撮影したポジ・フィルムをカンヴァス上に投射して、手作業で輪郭線を描いた後ペインティングしたもの。コラージュの輪郭の陰影まで忠実に描いてあるため両者の区別は困難であった。イリュージョン(錯視効果)のトリックである。またフォト・ピクセル・ペイント(*)によるカンヴァス壁画の見本も飾ってあった。

「なかなか見事なものです。」と学芸員Z氏は作品を賞讃した。「ステラおじさんはコンピュータを利用するハイテク・アーティストでもあるのか!」と私も彼のテクニックには驚嘆した。

 次に通された部屋には数点の建築物の模型が展示されていた。「ジョン・ケージは美術を侵略したが、ステラは建築か!」

 右手にセーヌ川に架ける予定の橋の模型があった。

「どうやって人が歩けるのか理解不能な形状の橋だな?」

木の葉の天蓋のある美術館の建物、奇妙な流線型の建物のある公園。不思議な帽子の形のチャペル。

近代建築の直線的な外観に挑戦するかのような曲線的な構造である。「実際にあったら楽しいだろうな。」と思いつつも、「実現できるのだろうか?」という思いに駆られた。私がニューヨークが嫌いなのは、マンハッタンの高層ビル群には安らぎを覚えないからに過ぎない。だれしも直線の形態にはストレスを受けるものであろう。

 特別企画展の部屋を出ると、次に通されたのはステラの作品で埋められた常設展示の部屋であった。最初に目に飛び込んだのは黒のカンヴァスが年輪のように白のスクエアで分断された、いわゆる「ブラック・ペインティング」の作品であった。

 「イリュージョンを排除した革命的な作品です。」と学芸員Z氏は解説を始めた。ステラをミニマル・アーティストとして世界的に有名にした美術史的な作品であることが理解できた。

「現代美術が難しいのは、このように外見的に単純な作品をいかに解釈するかにある。また仮に、説明できたところで、再び見る気になるであろうか?私が裕福なコレクターだとしても買わないだろう。手元に置く必要性を全く感じさせない作品である。」と歴史的な作品を前に私は密かに告白していた。

 Xの形をしたシェイプト・キャンヴァスの作品が続いた。<ステラ=シェイプト・キャンヴァス>の公式が成立するほどの作品である。左に向かっていくつかのコンストラクティブな作品が展示されてあった。それらは立体絵画或いは平面彫刻といえる2.5次元の作品である。この延長線上にあの野外彫刻が制作されたのだろうと考えた。というのも年代順に並べられた作品の前と後にはどこか共通するものがあり、論理的に作品が発展してきたことが見て取れた。

 私は学芸員Z氏にステラの人間的側面の質問をした。彼の列挙した内容は次の通りであった。(一部省略)

◆1936年にボストンに生まれる。父は産婦人科の医師。母は美術学校を出たアマチュアの画家。

プリンストン大学で美術史を専攻。外国旅行を度々し、日本へも来ている。

◆趣味は自動車、馬、テニス、スカッシュ。所有車はポルシェ。カー・レースの観戦をし、競争馬の馬主でもある。

◆結婚暦は2回。2度目の妻は小児科の医師。

◆収入については、 ニューヨーク近代美術館などの作品買い上げにより潤沢。広いアトリエを所有。

これらのデータからも、ステラが、私が考える従来のアーティストのタイプとは違うことの裏付けが取れた。

 「 ニューヨーク近代美術館で、過去すでに2度回顧展がありました。ピカソがやはり回顧展を生前2度持ちました。そういう意味でステラはピカソに続く巨人と言えます。」とZ氏は続けた。

 私は、ここに至って大いなる不安の意味を理解した。ステラは創られたアイドルだったのだ。ピカソには一般大衆の支持があるがステラは今のところ明らかにそこまでは至っていない。一部の画商、キュレーターの支持はあったであろうが。特に ニューヨーク近代美術館がバックアップしたことは、ステラが世界的な存在になった大きな要因であろう。ソニーのプロデューサーが松田聖子をスターに仕上げたのと類似のシステムがそこにはあるのだ。つまり、ニューヨークを中心にして世界的な規模のアートの経済システムがあり、商社のような画商が生み出したアイドルがステラを代表とするある種のアーティスト達である。そのような画商にとっては、アートは投資あるいは商品にすぎない。現代美術の現実的側面を想像して、これまでのアートに対する価値観が崩壊した感じだった。

 複雑な思いで 川村記念美術館を後にした。夕方の5時を過ぎてはいたが外の空気は暑かった。館内で受けたショックも加わって砂漠の様な熱さを感じていた。水戸へ向かう車中、錯綜する想いの中でつぶやいた。

「ステラはアーティストなのだろうか?」

デュシャン以後の多くの現代美術アーティスト達は、製品に手を加えて作品としてきた。ステラはその逆の発想に至ったのだ。芸術作品という製品を製造した。それを売り込むために、ビジネスマン・ステラはリュックサックを背負って今日も世界各地を訪れているのであろう。 (所)

追記:詳細は 淡交社の「フランク・ステラ総合芸術プロジェクト」を参照していただきたい。

*本ページの内容は、1995年3月1日発行当時のものです。



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