ART SPEAK

初めてのいわき市立美術館(1)


 9月11日(日)、薄曇りの天気の中、私の気持ちは高鳴っていた。3年8ヵ月ぶりに、この平の町を訪れたからだ。ふと、あの頃のことが思い出される。宝くじがよく当たることで有名な大黒屋デパート(私は10枚買って1枚当てた!)、クリスマスパーティーで盛り上がったしゃくなげ会館(私はビンゴゲームでピンクのタオルケットセットを獲得し喜んでいた)、仕事でよく訪れた市役所(台風の日、強風でバイクが倒され泣きたくなった)。思い出いっぱいのこの町で、私は2年間過ごした。しかし、当時は美術に興味がなかったので、一度も美術館へ足を運ぶことはなかった。

 美術館へ一歩入った。天井が高い。目の前には、角材が空間を区切るようにさまざまに組み立てられ、角材と角材の隙間に、浮き輪、ゴムボートが乗せられている。それは、新鋭作家の作品であろう。不思議な感じがした。

 常設展で現代美術作品を鑑賞した。私は、良きにつけ悪しきにつけ、現代アートの作家・作品をほとんど知らない。きっとここに展示してある作品は、有名である作品に違いない。しかし、私は、その良さがわからず困惑した。なんだかよくわからないのだ。そんな困惑を小さな胸に抱いて(男なのに気持ち悪いか?!)「最先端の美術…現代美術入門2」講座を受講した。

 その講座では、スライドを使って現代美術の流れが説明された。その中で、ヨーゼフ・ボイス氏の『直観』という作品には驚いた。その作品は、木で作られた、どこにでもありそうな箱だ。箱の内側に「直観」(もちろん外国語)と書かれ、裏に作者のサインが入っているだけのものである。その作品は、常設展に展示してあったものらしい。私は、ついさっき見てきたはずなのに、気にも止めなかったらしく、全然覚えていない。どうしてこれが美術作品なのだろうか? 私には単なる箱としか思えない。いったい、どう見たらいいのだろう?

 学芸員の方から説明があった。「この作品は、1968年、12,000個も作られ、低価格(8マルク)で売られた。美術作品のあり方について、第一に、美術作品は唯一のものではないこと、第二に、作り手と見る人の立場は、対等であることを主張した。」

 私は、この説明を聞いて、自分が気づかなかった見方があることを知った。自分が美術作品だとイメージしていたものが根底からくつがえされた。私は、視覚的に美しく、見る人に感動を与える作品こそが美術作品だと思っていたから。

 しかしながら、作品自体よりも、その作品の背景にある意味づけしか素晴しいと言えないと思う。やはり、物理的には、単なる箱なのだ。私は確かに、学芸員の方の解説にショックを受けた。「どうしてこれが美術作品なのだろうか?」という問いかけに見事に答えてくれたから。

*本ページの内容は、1994年12月1日発行当時のものです。



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